黒い家 〜巧みに恐怖心を煽る演出〜
貴志祐介作 黒い家です。
映画は見たことがあって、それはもう大竹しのぶさんが怖くてたまらなかった記憶しかないのですが、原作が傑作だということなので読んでみました。
あらすじはこんな感じ↓
若槻慎二は、生命保険会社の京都支社で保険金の支払い査定に忙殺されていた。ある日、顧客の家に呼び出され、期せずして子供の首吊り死体の第一発見者になってしまう。ほどなく死亡保険金が請求されるが、顧客の不審な態度から他殺を確信していた若槻は、独自調査に乗り出す。信じられない悪夢が待ち受けていることも知らずに…。
私が思う見所は2つ
①3種類の恐怖
②保険金制度及び犯罪心理に関する議論
①3種類の恐怖
本作品の見所として絶対に外せないのは、物語が進むにつれて背筋がぞっとするような恐怖に支配されていくという点です。貴志さんの他の作品として「青の炎」も以前読ませていただいたのですが、こちらでも人間の不安を巧みに描かれていて、恐怖や不安を表現する貴志さんの才能にはつくづく感心させられます。
恐怖と一言で言っても、本作では様々な形態の恐怖が描かれていましたので、私自身の解釈で大きく3種類に分類してみました。
以下ネタバレ!-------------------------------------------------------------------------------------------------
1.人間それ自体の恐怖
まず、本作の敵(?)である菰田夫妻から醸し出される恐怖です。彼らの言動や身なり、そして徐々に明らかになる過去や少年少女時代の作文など、彼らを形作っている要素全てが極めて異質で、関わってはいけないオーラみたいなものを感じざるを得ません。
具体的なシーンとしては、
・息子の死体発見時、主人公若槻を凝視する菰田夫
・窓口での菰田夫の行動(出血するほど強く指を噛む)
・病室での夫に対する幸子(菰田妻)の対応(片腕が無い夫を見て笑い飛ばす)
あたりの印象が強く残っています。特に3番目は思い出すだけでぞっとしますねえ…
2.増幅された不安による恐怖
これは主人公若槻の私生活が、徐々に菰田に侵されていく過程で感じた恐怖です。
幸子は若槻の自宅に何度か嫌がらせのような行為を働きます。初めは若槻も「あれっ?」という違和感を抱いたに過ぎなかったのですが、徐々に違和感が確信に変わっていく、あのぞわぞわした感じがこの小説の醍醐味だと私は思います。
他にも、ラストで幸子が会社に乗り込んでくる場面で、知人の女性からの電話がきっかけとなって若槻は幸子が会社に侵入していることに気が付くのですが、そこでも即時に気づくのではなく、「あれ?これってもしかして…」と徐々に不安が確信に変わる過程がめちゃくちゃ怖かったです。
あと、私は映画で結末を知っていたのでそれほどでもありませんでしたが、真犯人が夫ではなく幸子だと判明する場面も、若槻の思考がぐるぐると速度を上げて回っている描写が、一層恐怖を掻き立てている印象を抱きました。
3.臨場感による恐怖
これは幸子との対決シーンを指しているのですが、生死を分ける重要な場面で「1つ判断を誤れば破滅に陥る」という恐怖です。
こういう類の恐怖って、ホラー映画でよく目にしますよね。明かりのついていない敵のアジトに侵入したときの、いつ見つかるやもしれないという緊張だったり、殺人犯がうろついているすぐ近くの物陰に隠れていて、物音を立てないようにじっと我慢するシーンだったり。
本作でも同じで、私がこの恐怖を感じたのは、2つのシーンです。
・菰田家への侵入
・会社での幸子との対決シーン
特にラストである2つ目のシーンでは、エレベーターを使って恐怖が演出されていました。こう見るとエレベーターってめちゃくちゃ怖いですよね。階数表示機でエレベーターが上昇してくるのを見ているとき、殺人犯が乗っているかもしれないという恐怖。自分が乗ったエレベーターが目的の階に着いて、扉が開いたら目の前に殺人犯がいるかもしれないという恐怖。
エレベーターがトラウマになりそうです…
②保険金制度及び犯罪心理に関する議論
本作では、保険金殺人の発生を受けて、登場人物たちの間で保険金制度と犯罪者の心理に関する議論が頻繁に交わされます。
1.保険金制度のジレンマ
これは終始若槻によって投げかけられるテーマですね。人を予期せぬ不幸から守るために出来た制度が、自他への傷害・殺人行為を誘引しているという問題です。作品自体が少し古いので、現在この問題に対してどのような対策がなされてどんな状況にあるのかは、不勉強な私は把握していないのですが、解決はしていないのだろうと思います。
正直問題が根深すぎて、完全に解決される日が来るとは思えないですね。非常に難しいです。
2.犯罪者の性善、性悪
メリー・ポピンズ リターンズ 前作を踏襲しながらも、新鮮に楽しめる華やかなミュージカル
こんにちは! たんみーです。
本作、劇場で観て来ました!
あらすじはこんな感じ↓
今回の物語の舞台は、前作から20年後。バンクス家の長男マイケル・バンクスは、今では家族を持つ親となり、父や祖父が働いていたロンドンのフィデリティ銀行で臨時の仕事に就いていた。しかし、大恐慌時代のロンドンでは金銭的な余裕がなく、更にマイケルは妻を亡くしたばかりで家の中も常に荒れ放題。バンクス一家は窮地に追いやられていた。そんな中、さらに追い打ちをかけるように融資の返済期限切れで家を失うピンチ! そのとき、あの“ほぼ完璧な魔法使い”メリー・ポピンズが風に乗って彼らの元に舞い降りる!20年前と1ミリも変わらぬ容姿の彼女が起こす奇跡で、バンクス一家は幸せを取り戻すことができるのか――。
評価:★★★★☆
私はこの映画、完全に虜になってしまったので正当な評価はできていないかもしれませんが、もうめちゃくちゃ良かったです。感情揺さぶられまくりで、帰りの運転中にも劇中歌が頭の中で何度もリピートしてました。
私が感じたこの映画の見所はこんな感じです。
・前作とよく似たストーリー構成
・父マイケルの苦悩
・魅力的なキャラクターたち
・アニメとの融合シーン
・人生の教訓となる歌の数々
・前作からの繋がり
■前作とよく似たストーリー構成
前作のストーリーは、
バンクス家で問題発生
→メリーポピンズ登場
→不思議な体験1(魔法で部屋の片付け)→不思議な体験2(絵の中の世界)→不思議な体験3(笑うと宙に浮かぶ部屋)
→父の勤め先の銀行へ突入→父に迷惑をかけ、子ども落ち込む
→煙突掃除屋たちのダンス
→父リストラの危機
→父改心、リストラ回避
→ラスト
今作は、
バンクス家で問題発生
→メリーポピンズ登場
→不思議な体験1(バスタブの中の世界)→不思議な体験2(器の絵の中の世界)→不思議な体験3(水曜日に逆さになる部屋)
→父の勤め先の銀行へ突入→父に迷惑をかけ、子ども落ち込む
→ガス灯点灯夫たちのダンス
→父激怒
→父改心、危機回避
→ラスト
構成はよく似ていますが、それぞれの場面での内容は全く違うものでした。「この場面は前作ではああだったけど、今作はこうなってるのか」と比較しながら見るのも楽しかったです。
■ 父マイケルの苦悩
前作の父ジョージ・バンクスは、非常に厳格な銀行家で頑固一徹という、正直私は好きになれないキャラクターでした。
しかし今作の父マイケルは、銀行勤務という点は共通しているものの、画家を掛け持っていたり、自分に自信を持てなかったりと、ジョージとは正反対の人間味のある性格です。
大切な我が家を失いたくがないために必死に奔走するあまり、つい子供たちに強く当たってしまう。一家の主としての責任と、我が子への愛情の間で板ばさみになっている彼の苦悩は、彼の表情から痛いほど伝わってきました。終盤で銀行から帰った子供たちを叱る場面は、見ていて胸が張り裂けそうでした。
しかし、彼はその後逆に子供たちに励まされ、我を見失っていた自分や、いつの間にか大きく成長していた子供たちの姿に気づきます。重責から解放された瞬間の父マイケルの姿は、涙なしでは見ていられませんでした。
■ 厳格なメリ-・ポピンズに垣間見える愛らしさ
前作でもそうですが、メリー・ポピンズは厳格な教育係で、かつ完璧で精錬されたブリティッシュウーマンです。
魔法で何でもできるのに、あえて自分は手を出さずに子供たちにやらせたり、不思議な世界で子供たちに楽しい体験をさせておきながら、帰った後は「そんな世界は知らないわ。きっと夢よ」ととぼけるサバサバっぷりです。教育のためとはいえ、「もう少し優しくしてあげてよ!」なんて思っちゃいます(笑)
また、今作では物語のキーとなる株券を子供が見つけるようにさりげなく仕向けるなど、その周到さには感心してしまいます。
そんな彼女にも、前作・今作ともにお茶目な一面を見せる場面があって、私はそこが大好きなのです。
その場面は、ジャックがメリー・ポピンズを踊りに誘う場面で、毎回こんなやりとりがあります。
ジャック「メリー・ポピンズも一緒に踊ろうよ!」
メリー・ポピンズ「嫌よ」
子供たち「メリー・ポピンズも踊ってよ!」
メリー・ポピンズ「ったく仕方ないわねえ」
めちゃくちゃノリノリで踊りだします(笑)
というくだりです。いつも厳格な彼女がノリノリで踊って歌う姿は見ていて幸せな気分になれますね。
■ アニメとの融合シーン
メリー・ポピンズ シリーズの醍醐味ですね。50年も経っているので当然ですが、今作でのアニメとの融合シーンのクオリティは本当に凄かったです。完全にアニメが背景の一部として溶け込んでいて、気づいたときにはアニメなのに現実であるかのように混同していたくらいです。こんな世界があったら是非入ってみたいものですねえ…
また、最近のディズニーアニメはほとんどCGアニメなので、久々に2Dのディズニーアニメを見ることができて、「CGじゃなくてこっちのアニメ映画ももっと作ってほしいなあ」なんて思ったりもしました。
■ 人生の教訓となる歌の数々
私が思うメリー・ポピンズシリーズのメインテーマは、「苦しい中にも、少しの喜びを見出せば人生は華やかになる」だと捉えています。
前作でそれを色濃く表していた歌は、「お砂糖ひとさじで(A Spoonful of Sugar)」でした。この歌は、苦くて飲めない薬も、スプーン1杯の砂糖を混ぜれば飲むことが出来る、という内容の歌です。
今作でも多くの素晴らしい歌がありましたが、その中で私が特に気に入ったのは、以下3曲です。
・「ひっくりカメ(Turning Turtle)」
「見方を変えれば嫌なことも楽しいことになる」という内容の歌です。作中ではメリル・ストリープ演じる修理屋のトプシーが歌っています。
ちなみに、この場面でエミリー・ブラントとメリルストリープが一緒に踊っているのですが、2人の出演作「プラダを着た悪魔」のファンである私にとっては、このシーンは最上のご褒美なのであります(笑)
・「小さな火を灯せ(Trip a Little Light Fantastic)」
暗闇に小さな火を灯そうという歌ですね。苦しい人生の中でも小さな希望を持とうというメッセージが伝わってきます。作中では、ジャック率いるガス灯点灯夫たちが歌っていて、ダンスも交えた非常に楽しい曲です。
・「幸せのありか(The Place Where Lost Things Go)」
失ったものは完全に消えた訳じゃない、今はただ隠れてるだけで必ずどこかにある、という内容の歌です。作中では亡くなった母のことを指していて、メリー・ポピンズが子供たちに、また子供たちが父マイケルに対して歌っています。「お母さんはいなくなってなんかいない、月の後ろに隠れて見守ってくれてるよ」という言葉が素敵すぎて、私はここでぼろ泣きしました。文字打ってるだけでも泣きそうです(笑)
■前作からの繋がり
前作を見た身からすると、続編として前作のなごりを各所に見出せるのは非常に嬉しいことですね。
最初から最後まで重要な役割を果たした凧や、隣人のブーム海軍大将(ボケてたけど)など、見ていてノスタルジックな気分に包まれました。
中でも終盤でマイケルが子供時代に預金に入れた2ペンスが出てきたときは何とも感慨深かったです。前作の「2ペンスを鳩に(Feed The Birds)」がバックに流れていてのがもうたまらなかったですね。ここでも私は性懲りもなく泣きました(笑)
■ まとめ
書きたいことが多すぎてまとまりがなくなってしまいましたが、とにかくこの映画は私の中で近年トップクラスの評価です。ここまでリピート熱が高まったのは久しぶりです(笑)
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
おわり